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 田尻会について

皆さん、在京田尻会を覗いてみませんか

 東京にある「もうひとつの田尻です」                          
    在京田尻会は田尻を離れて暮らす田尻出身者の親睦の会です。令和元年(2019年)で35年になります。現在会員は約2000人、毎年一回、上野の「東天紅」に集まります。普段滅多に会えない同級生や先輩後輩、幼馴染みに会って、田尻弁で楽しい一時を過ごしています。参加者は毎年170人ほど、なかなか盛況です。役員も現在は二十人足らずですが、みな手弁当で会を支えてくれています。東京にあるもう一つの田尻だと思って下さい。
 
 
 在京田尻会の発足 
    東京に田尻出身者の会が出来たのは、昭和60年(1985年)です。一番大変だったのは、お互い親戚や友達の事は知っていますが、大東京に何人くらいいるのか何処に誰がいるのか、皆検討がつかないのです。この問題を解決したのが時の町長の峯浦耘蔵さんです。峯浦さんは町の事業と位置付け、各行政区長に協力を要請し、各区長が一軒一軒回って、上京している家族の名前住所の聞きこみをしたそうです。こうして会員名簿が出来たのです。
 
 
 歴代会長・町の皆さんの熱意 
    初代会長が佐々木喬さん、田尻出身でコパル電子の創業者で社長です。当時は事務所もなく、虎の門にあるコパル電子の役員室で会合をやらせてもらい、総務部長が事務局長をかねるなど、今では考えられない思い出です。その後、峯浦さんの志を引き継がれた堀江敏正町長は、町を挙げて田尻会を支援されました。バスを仕立ててのふるさと田尻に訪問の旅では、加護坊山のさくら祭りに合流、又最近ではラムサール条約の指定を受けた、蕪栗のマガンを見る旅など忘れられない故郷の思い出になっています。
 
 
 一市・六町の合併
   平成18年3月31日に、田尻は古川や鳴子などの一市6町と一緒に大崎市になりました。田尻が亡くなるのではという心配もありました。行政の範囲が大きく変わっても私たちのふるさとは田尻であることに変わりはなく、今まで以上に大事な会になっています。

 
 今後について 
   在京のふるさと会は、何処でも高齢化の波を受けて、参加者が少しずつ減少傾向にあります。田尻会でも同じです。しかし田尻会のあることも知らない人や、知っていても一人では行きにくい、会場がかわってからは何となく不参加になっている人など、まだまだ声をかければ参加したいと思っている人が沢山います。最近では、首都圏だけでなく、福島や名古屋、仙台からも来られます。どうぞ皆さん、誘いあって覗いてみてください。お待ちしています。